調和の流れを学ぶ ひとつがすべてへ すべてはひとつへ credo

看護師免許捨てたら、根底から覆った話③

2015.06.26

看護師免許捨てたら、根底から覆った話①、②に引き続き・・・

私、今まで、「幸せ」って、こんな形だと思ってた。

だって、よく言うじゃないですか?

「現代日本社会は、戦死者の犠牲の上に成り立っている」とか、
「若い時の苦労は買ってでもしろ」(売る側の言葉だったと知った時は衝撃でした)とか、
「食物連鎖」「弱肉教職」とか「あの時の苦労があったから今がある」とかetc.
なんかうまい例えが出て来ませんが、
とにかく「気を遣う=我慢すること」「我慢=美徳」「苦労の積み重ね⇒幸福」という刷り込みが、

いつしか私の中で、

「幸せは、犠牲の上にしか成り立たない」

 

なんてことになってたみたい(´゚д゚`)!!!

だから、「自分が幸せになること」をする度に、
誰か(親とか主人とか・・・果ては地球規模で「恵まれない子どもたち」とか戦死者とか?)を犠牲にしている気になってたんだよ!!
何か良いことが起きるたび、プレゼントとかも貰う度に、
「この恩は返さなきゃ。返さなきゃ・・・私、誰かを犠牲にしたまま『幸せ』になっちゃう」
って、すっごくすっごく罪悪感があったんだよーーーー(;´Д`)!!!
そりゃどんなに「幸せ」になってもなっても、居心地悪いわあーーーー!!!

「あんたのせいで、私は犠牲になってるんだよ!!」
って、そんな台詞を誰かに言ってもらおうとしてた。
その瞬間だけ、私は被害者になれるから、自分を責め続けている意識から、救われる。
優しい人たち、私をずっと応援し、愛し、見守って、助けてくれ続けている人たちに、
そんな台詞を吐かせようとし続けて来た。

 

怖い怖い怖えよ自分!!!

気づいて良かった。
気づけて良かったーーーーー(;´Д`)

 

 

で、ちょっと思ったんですけど・・・私だけじゃないかもなあって。
今の日本の社会って、こういうことじゃないのかなあ?って。

きっと、最初はそうじゃない。
すべては循環。
恩も、返さなきゃいけない。
んじゃなくて、ただただ自然なエネルギーの流れとして、「入って来た」ら、「出す」だけだったはず。
しかも、送ってくれた相手に直接的に出すのでもなく、
形を決めずに、優しさや恩は社会へ見知らぬ誰かへ、受け渡されていたんじゃないのかな。
エネルギーはただ流れ循環していることを、日本人は肌で解ってたんじゃないのかな?
それが、相互社会・世界一の平和な国・優しい国、を作ったんじゃないのかな。

自己犠牲って、楽なんですよね・・・。
だって、波風立たないし、私さえ我慢してたらって気持ちも、よく解る。
でも、
結局は自己犠牲が、他者犠牲を生むんじゃない?
目先の「争わない」(平和)のために、本音を殺して喧嘩を避ける。
形ばかりの「自立」のために、感覚を殺して命を使う(それが使命??)
自分を殺し続けた人が、いつか他人を殺すんじゃないのかな?

心から安じて定まる(安定)ためには、
自分を立たせる(自立)「本音」(喧嘩)が土台だって、結婚してから解ったんです。

それが、きっと私のテーマだったのかもしれません。
表面的なお金や仕事内容や、買い物とかじゃなくって、

 

「あんたは、なにがしたいん?」

 

これをずっと突きつけられてきたのは、きっと、
「しあわせ」の考え方が、根底からちがってたから。

 

本当に「幸せ」を作るのは、「幸せ」しかない。

 

だから、私は、喜ぶ。
生きていることを、喜ぶ。
幸せな今を、ただただ喜ぶ。
助けてもらえることを、ありがたいって、喜ぶ。
したいことをさせてもらえる今を、ただただ幸せに感じて夢中になる。

 

「幸せ」は誰をも犠牲にしない。

喜ぶことが、「幸せ」を勝手に循環させる。

 

それだけで、良かったんだ。

ふと思ったんだけど・・・
例えば、「学校なんて行くか」って言えない人が、
「戦争なんか行くか」って、言える訳がないんじゃない?
「こうされると嬉しい」「こうされると悲しい」「こうしたい」「したくない」って、
本音を言える人(「中の人」との会話が上手=自分の気持ちに敏感な人)は、
たぶん、他人の気持ちにも敏感だし、他人の本音も尊重出来るんじゃない?
(谷さんなんかはほんッまに自分に素直です。そしてカラッとしてる)

 

みんな、「中の人」を幸せにすることだけに、集中したら良いんだよぉ(*´▽`*)!

⇒これも「私」への言葉♡

答えは外じゃなくて、中にある。

 

自分への・・・・集中力!!!

 

あーーー、長くなった。疲れた。
でも、書き切れて良かった。

今回のこの出来事で、私、根底からひっくり返った感じ(笑)

捨てると、入る~☀