調和の流れを学ぶ ひとつがすべてへ すべてはひとつへ credo

楽々と生きる浄化

2016.10.13

 

私の一日。

 

7:15  お弁当作りと主人の見送りに起床
    (寒くなってきて起きれないこと多々あり)
8:00  二人で朝ごはん
9:00  掃除と洗濯
10:00 散歩/買い物/図書館
11:00  午前寝
    ブログ/一緒に寝る
13:00 二人でお昼ご飯
14:00 散歩
15:00 二人でおやつ/晩御飯仕込み
16:00 夕方寝
    だいたい私も一緒に寝るか休憩タイム
18:00 洗濯物片付け/晩御飯仕上げ
19:00 二人で晩御飯
20:00 主人帰宅で晩御飯/片付けとお遊び
 

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21:00 お風呂
22:00 お遊びか寝かしつけ
23:00 全員就寝
(ここまでに息子を寝かせられたら万々歳)
3:00 授乳
5:00 授乳
(最近寒いから小刻みに起きる)
6:00 授乳
 

だいたいこんな感じで1日が過ぎていきます。。。
 

3:00から起床までは瀕死ですが、
それ以外はとってもゆっくりと時間が過ぎていく。
 

以前の私だったら、
「世間から置いて行かれる」
「主人は働いているのに、私はこんな寝てていいんだろうか」
「共働きで必死なママもいるのに…私はなんてダメダメなんだろう」
と、考えてました。
妊娠中、ベッドの上で吐くほど『世間の声』を想像していましたもん。
 

そして、自分を責める気持ちを証明するために、
専業主婦叩きのネタばかり集めて、無意識なままに罪悪感に浸かりきって、一人、目に見えないなんかと戦ってた。
 

「私、暇じゃないよ」
「ちゃんと役に立ってる」
「私だって、ちゃんとしてる!」
って、完璧に家事をやろうとして、潔癖なまでに掃除を徹底したりして、
そして家人が物を散らかしたことに憤慨して。
主人や周りに、「お前楽するなよ」「働いてないじゃん」って、言わせてた。
相手に自分を責めさせることで、かろうじて自尊心を抉り出す戦い。
 

楽=罪悪
 

稼がない=役立たず
 

決して一人じゃないのに、孤独。
 

・・・そんな私は妊娠中、
「まずそもそも、楽して何が悪いの?」っていう意見で目が鱗になりました。
それまでは、「苦労の積み重ねはいつか幸せに」(苦労=美徳)、
で、「今目の前の幸せ」がそもそも頭になかったから。

 

「効率を考えないといけない」ことって、
家事でも仕事でも育児でもなんでも、
そもそも本来「やりたくない」「好きではない」「いたし方ない」からやることであって、自分にとってはストレス原。
そのストレスと接触少なくするには、効率を考えて、早く確実に終わるようにする、「楽」になるために。

 

そもそも最初から効率なんて考えてなくて、効率悪くてもやることって、
結局「好きなこと」「やりたくて仕方ないこと」「いやじゃない」ことだから、
なんだかんだ言ってて、『楽しい』んだよね。
効率悪くても、それでもやってしまうことなら、好きにやればいい。
ストレス源を減らして楽して、
好きなことをやって楽しんでる状況って、それ、実はとっても幸せじゃない?
 

「幸せを選ぶのに、躊躇するな」って、昔の自分に言いたいな。
 

私は帝王切開で、そのことについて誰かに「自然分娩と比べて楽だったでしょう?」と言われたことはないけれど、そして比べても全然楽ちんだとは思わないけれど、
(予定日と出産までの流れが想定できる楽さはあったかな。そして、終わりが見えない物へ恐怖を感じる私には、つわりがないのは最高でした)
そもそも、楽なら最高じゃないかな。
妊娠出産はスタートで、そのあとながーく続く育児のスタミナが必要なんだから。
(つわりは波で、その果ての出産が気持ち良いーって快楽な人もいると思うので、痛みがないのが最高と言っているわけではなく)

 

「家庭内を占める/家内」「奥(中心軸)に座す/奥様」
その、ママ(家内・奥様)が楽で幸せであるためには、
たぶん、ママ自身が自分の中の欠乏を知り、満たすことから始まるんじゃないかなって思うのです。
孤独な戦いを終わらせるのは、ほんのちょっとの勇気だけ(^^)
誰かと戦うのではなく、
自分の中の損得勘定、ひがみや拗ね、思い込み。

 

幸せが一人ひとりちがうように、
自分に合う「最適」が「これ!」って言えないと、
いくら「これが『幸せでしょう?』」って与えられても、
本当のほんとは枯渇したままだから。
 

私の場合は、
「誰にも会いたくない・どこにも行きたくない・私だけがいればいい」
っていう、極度の自閉心が根本にあるから、
その自閉欲求に従ってスケジュールを決めて、
「そうかそうか」って己を満たしてあげれば、
だいたいそれですべてがOKな感じになるらしい。
本当に誰にも会わない、どこにも行かない訳じゃなく、
私の心が常に私にさえ向いていれば良い、っていうこと。
幸せな自閉児だった保育園時代の自分に戻っているみたい。
 

誰にも会いたくない

どこにも行きたくない

私だけがいればいい
 

傲慢なまでの欲求だけど、
『「私」だけがいれば良い』っていう極小の至上を認めたら、
人とつながる時間は貴重でうれしく、
講座でもセッションでもプライベートでも、
人とのお付き合いが今までより数倍気楽で楽しくなりました。
貴重な時間だからこそ、
一瞬一瞬逃さずに自分の気持ちを大切に感じ取り、
そして相手の気持ちを知りたいとも思うのです。

 

パアーッとはしゃぐ楽しさ、というより、風呂に浸かってるような極楽さ?
 

これは、つい最近の新しい発見。

 

自分に「楽すること」を許すと、
隣でひとが楽してる姿に幸せを感じる(^^)
子どもも楽々と生きてほしいな。
そんな風に、
先祖代々受け継がれてきた枷を浄化していくんじゃないのかな。
(私の家は祖母の代から「男の人に頼れない(甘えない)」環境だったから、
今、私は主人に甘え息子の強さを感じて、男の人の逞しさに感動しているところ)
 

 

 

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