調和の流れを学ぶ ひとつがすべてへ すべてはひとつへ credo

損「ない」と得「ある」の陰陽

2016.01.05

こんにちは、癒食カウンセラーの米澤万由美です(*‘∀‘)

明日、二つのコースの詳細を発表します~。

それに先駆けて。

私は、「行きたいなあ」と思うセミナーやイベントは、ほぼ好きに行ってました。

看護師時代、毎月第三木曜日と土曜日は半年間休み取り続けてカウンセラーコース通ったり。
お金も、厳しいなあと思ったら生活費はクレジット払いにしてコース分の現金は確保したり。

独身だから出来た、恵まれてたんだと思うのですが、
「行きたいなあー」ってピンと来たもの、潜在的に必要だったモノゴトには、都合が不思議なほど動くし、肚からの欲求であればこそ、周りも素直に応援してもらえるのなんだって、実感してます。

 

でも、いつの間にか、いろんな理由で「行けない」「出来ない」って思うことが増えてきて。

なにか「やりたい」「こうしたい」と思っても、子供がいるから、とかお金がないから、とか、仕事の予定が着かない、とか、
いろんな理由で「行けない」「行けない」「買えない」「出来ない」って思って苦しかったんですよね。

そんな自分へ、今、言ってあげたい。

 

あれがないからこれがこうだから「出来ない」って思ってると、
いつまでも「本当の自分が選んでいること」に気づけなくって、いつまでもなにかのせい、他人軸なままで、そして自己犠牲してて、苦しい。
で、「いつも自分ばっかり我慢してる!」果ては「◯◯のせいだ!」ってイライラする。

大事なのは、本当の自分に気づくこと、という点。

例えば「行けない」んじゃなくて、「行かない」という選択を本当はしたんだよ、ってこと。
ないないっていう「損」ばかりじゃなくて、
お金も時間も、なくなっちゃうなくなっちゃう、んじゃなくて、
「あ、これいいなー」「やりたいなあ」「欲しいなー」って思った自分の欲求よりも、
なににお金を時間を優先してそこに「懸けた」のか、行かなかった分、使わなかった分、なにを「得た」のか、明らかにしないから、苦しいってこと。
例えば、子供がいるからセミナーに「行けない」んじゃなく、「行かない」を選んだ。
その分のお金と時間を、子供といる時間や家で過ごす時間に懸けて、「子供といる私」を得てる。

○○のせいで「行けなかった!」って他人軸で苦しんでイライラしてるより、
「私は○○にその分のエネルギーを使う」選択をしてるし、
もし体調不良で行けなかったとしても、「休み」を得た、という面があること。

その得たもの、優先したもの、に費やしたエネルギーに見合う価値があるのかないのか判断は、その後してみたらいい。
合っていないと思ったら、次の選択が変わるだけ。

 

常に、選択権は自分にあったんだよ。

 

ここぞという時に本音を「言えなかった」んじゃなくって、顔色を窺ってその場の平和を優先して「言わなかった」。
その後の猛烈な不満や消化不良のグルグルに見合うほどの価値が、果たして「その場限りの平和」には合ったのかどうか、は、経験しないとわからない。

 

「うわあ素敵✨」って思ったお洋服、そこにお金を「懸けない」で、何にお金をその分注いだのかあいまいなままだから、いつまでも自分の欲しい物に満たされない想いで、使うお金は「なくなっちゃうなくなっちゃう」。
せっかく同じ使うお金なのに、もったいないよね。

 
この方の言う通り、エネルギーの懸けどころ、明らかにしなくちゃね。

「なくなっちゃう」「ないない」「出来ない」の反面には、必ず得ているものがある。

本当はなにを得ているのか、優先しているのか、自らの価値を明らかにする。

そこを明らかにしていったから、今はかなり「なくなっちゃう」症候群から楽になれました。

だから、もし、なにかしたくても「出来ない」・欲しいのに「買えない」・行きたいのに「行けない」って我慢して苦しい人がいたら、
その分自分が何を得るために「しない」のか、何を優先して「買わない」のか、どこで過ごすために「行かない」のか、明らかにしてみたら楽だよって思うんです。

 

ぜんぶ自分で決めていいだよ。

自分が本当はどうしたいのか、それを知るだけでいいんだよ。

 

 

 

自分への、エール。

 
私の好きなもの・好きなひと・好きな時間・好きなこと、をもっともっと明らかに宇宙にオーダーしよう。

そして小さなところから、受け取る練習も。